刀剣はたや

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寺子屋
誠斬会の寺子屋の一部をご紹介致します。知っているようで知らない話を順次載せていきますのでお楽しみに。
春の七草
秋の七草
土地とお米の話
春の七草
(せり)
(なずな)ーぺんぺん草
御形(ごぎょう)
繁縷(はこべら)
仏の座(ほとけのざ)
(すずな)ーかぶ
蘿蔔(すずしろ)ー大根

正月七日には七草かゆを食べる習慣がありますがこれは、正月にご馳走を食べ続け胃が弱っているので胃に負担の無いように。又、一年の健康を祈り食べるのですが武道家も七草を覚えさせられます。昔の武道家は山へ入り修行をしたときに今と違い八百屋が無いので自然に生えている山菜を食べたのです。そこで食べられる草を教えたのです。今で言うサバイバルです。今では山に入り修行する人はいないのですが武道家の知識として覚えさせられるのです。
秋の七草
(はぎ)
(くず)
尾花(おばな)−すすき
女郎花(おみなえし)
撫子(なでしこ)
藤袴(ふじばかま)
朝顔(あさがお)ーもしくは、桔梗(ききょう)のこと。

朝顔でも桔梗でもどちらでもいいのではなく、万葉集に出てくる朝顔は今の桔梗のことです。古名は朝顔と言いました。鎌倉時代禅宗のお坊さんが中国に渡りラッパの花びらの花を持ってきたところ中国ではその花の事を朝顔と言っていたので朝顔と言う名前がつきました。そこで昔から読んでいた紫色をした花の事を朝顔と言わずに桔梗と言うようになりました。花の名前が時代で変ることは珍しいことではありません。春の七草でも菘を蕪「かぶ」蘿蔔を大根、薺を「ぺんぺん草」と変りました
秋の七草も尾花がススキに変りました。幽霊の正体見たり枯れ尾花 と言う川柳がありますが夜行灯の明りで障子に枯れたススキが映ったのを見て幽霊の髪の毛と勘違いした人を笑ってそういう川柳が出来たのです。
 さて、武道家は秋の七草も覚えさせられます。これは根の部分を煎じると強壮剤になるからです。特に葛は栄養があり風邪をひいた時熱さましとして昔の人は葛湯にして飲ませたものです。小生も子供の頃風邪を引くと母親に葛湯をよく作ってもらった思い出があります。桔梗の根は強壮剤になりますが朝顔はなりませんので注意してください。古語は朝顔、今で言うと桔梗なので、もしくは、と言うのです。
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土地とお米の話
一坪の大きさは畳二枚と言うことは皆さんよく知っていると思いますがこれは米にかかわる話です。
大和朝廷のお役人様がお百姓さんに土地を耕してもらう為聞きました。
「君たちは一日お米をどのくらい食べれば土地を耕してくれるのですか」 
お百姓さんが「一日ニ食お米三合あれば生活していけます」と答えて
お役人が「それでは、三合のお米が取れる土地の広さはどのくらいの広さですか」と、尋ねたところ測って見ると六尺四方です。「単位で言うと1間」その大きさを一坪としました。  一坪x360日を一反としました=360坪
一反から取れるお米は「1坪3合x360日=1080合、四捨五入して1000合です。1000合=100升=10斗=1石と、合、升、斗、石、と単位を定めました。
 又、お役人尋ねました「君の家族は何人ですか」 お百姓さんが「はい。五人です。」 「では、5反の土地をあげるからその土地を耕して君の家族が食べなさい。もう5反あげるからそのお米は朝廷に年貢として納めなさい」
 では、1石の米を買うとしたらお金はどの単位にしましょうか?と言う事になり
1石=1両と定めたのが始まりです。割と単純に定めました。こういうことは単純なほど分かりやすいものです。
 時代は移り桃山時代に太閤秀吉がどうも1坪から取れるお米の生産が上がっているのでこれはもう一度測り直す必要があると考え検地のやり直しをしました。調べるとどうも1石の米が取れる面積は300坪で十分だ。と言う事になり1石=300坪と決まりました。これが有名な太閤検地です。この単位は今でも使われています。伊達政宗は秀吉から米沢から仙台へ移封を命じられましたが仙台で62万石取れる土地をもらい伊達62万石と言うのですがこれは秀吉がまだ検地をする前の単位で正味100万石取れる土地だったのです。正宗はこれに飛びつき米沢から喜んで移封に応じたのです。
 江戸時代、侍の最低の賃金は三両一人扶持でした。これは年に現金で3両一人扶持とはお米を1石「一年分の食糧です」もらえたのですがこれでは最低の生活しか出来ません。よくテレビでやくざが侍を馬鹿にして言う言葉にこのどさんぴんと悪口を言いました。この時大工の手間賃が1ヶ月2両2分でした。いかに安いかが分かります。江戸時代は飢饉の時を除けば安定した時代でした。お米の値段も比較的安定していました。
 明治に入りお金の単位を両から円に変えました。1両=1円です。旧幕時代のお金の単位は4進法でした1両=4分、1分=4朱、1朱=250文、 1番下の単位の文は1両=4000文です。1分=1000文。1朱=250文で文は10進法と混ぜて使っていました。円は10進法です。
 ここで明治に入った時のお米の値段を書いてみますと
明治元年1円60銭 2年=3円13銭 3年=1円82銭 4年=1円12銭 5年=80銭6年=1円20銭 7年=1円87銭 8年=2円5銭 9年=1円18銭 10年=1円34銭明治21年まで1円50銭前後で安定していました。言い換えれば明治20年まで米の生産が安定していたと言うことです。米の値段が上がる時は飢饉で米が取れないときか高度成長して賃金が上がっている時です。明治20年過ぎると2円台に突入です。28年は4円台です高度成長が始まったことがうかがわれます
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